小さな編集長の雑感(限定版)

小さなメディアの編集長が、仕事や働き方の気づきを書き留めるブログ。限定版。

「仕事を奪われる」という表現はやめませんか、という話し

先日、AI(ロボット)に仕事を奪われるということに違和感を感じるという話しを、ロボットの語源という切り口で記事にしてみました。

chibiblog.hatenablog.com

ロボットは、強制労働と労働者という言葉を掛け合わせた造語。ロボットに奪われるのではなく、強制労働する労働者に仕事を奪われるという表現になると途端に違和感を感じはずです。翻って考えてみると、これは奪われるというわけではなく世の中に次々と生まれた強制労働を機械が代替し始めたというわけで、ひとの観点からするとありがたい話しのはずです。

元々、人工知能×代替というキーワードが注目をされ始めたのは、野村総合研究所NRI)とオックスフォード大のオズボーン教授の共同研究が発端だったように思います。日本の労働人口が「技術的には」49%が人工知能やロボットなどで代替可能というリリースが、メディアによって「仕事が奪われる」という表現に変わってきたという気がします。おそらく49%代替という数字はどこかのメディアでご覧になったことがあるのではないでしょうか。

www.nri.com


しかし、ここには続きがありました。実はわたし、来日したオズボーン教授とNRIの研究発表会に招かれて参加したんです。その研究発表会の場でオズボーン教授はこんなことを言っていました。

人工知能や機械に仕事が代替されていく中で、国民性によってそれがポジティブなのか、ネガティブなのか。捉え方に差異があります」と話しをされていました。そして、ポジティブの代表的な国のひとつが日本だと紹介していたのです。

なぜ、日本がポジティブに捉えているのか、というと「元々、就労人口が減少しているため、代替となる労働力が求められているから」。そして、もうひとつが「文化的背景から、ロボットや人工知能と仲良くなれる」ということがポジティブにインプットされているからだそうです。

例えば、ドラえもんですね。

ロボットがお友達となって大の親友として成長できる。苦しいときに助けてくれる。そうした考えがDNAにインプットされているみたいです。昔でいえば、鉄腕アトムだったり。「ロボットは人を助けてくれる」というポジティブな存在でした。であれば、日本がもっとも「人工知能の活用」「ロボットの活用」の先進国になれるポテンシャルがあるわけで、メディア側にはここを後押ししてもらいたいし、すべきことなのではないか、と思っています。

「こんなことも代替できちゃいました。おめでとう」
「ここも、代替できました」「お〜、すごいね」

そんな空気づくりができたらいいですよね。だからもう「仕事を奪う」という表現はそろそろ止めにしたいものです。

最後に余談をひとつ。

人工知能の前に世の中を変えると言われたものがありました。それが、マイクロソフトの「Office」です。発売当初、Excelの登場によって会計士の仕事がなくなると言われた時代があったそう。しかし、現実はむしろ逆で、懸念していた以上に雇用や仕事が生まれることになりました。今回も同様のことがいえます。大事なことは変化を捉え、学び続けること。そして、自分自身が変わること。怖がることなんて何にもないんです。

 

1週間で気になった記事を改めて洗い出してみる。そして、考える(2018/05/12)

このブログではおなじみの記事。今週1週間で気になった記事をまとめてみました。

1.

note.mu

これからのリーダー像の話しが端的にまとめてられていて面白い。この記事ではこれからのリーダーは、何かしたいという思いがあるひとを指す。立場にとらわれず、思いをもって行動できるひと。その思いや行動があることでそうだよねって共感してフォローしてくれるひとが集まる。「なんかこの変は抜けている。しょうがないなぁ、手伝ってあげよう」ってサポートされちゃうぐらいがちょうどいい。この記事では、それを「愚者風賢者」と呼び、完璧さよりも楽しさを重視し、敵を作らず、大きな夢を語る人としています。その逆は完璧なリーダーや経営者像を求めすぎる「賢者風愚者」。自分が正しく、相手が間違っているが前提。勝ち負けにこだわり、周りに敵をつくりやすいタイプ。

この記事を知って、昔の稚拙な自分のマネジメントを振り返り、苦笑いしました。愚者風賢者の特徴を知ると、徐々に肩の力が抜けて、自然体でマネジメントができるようになる。あとこの記事でも紹介されているけど、その上での信頼関係を築く上でも相手のことを知る努力が必要。ここで、ストレングスファインダーが用いられているけど、モチベーショングラフを使っても良いし、雑談を増やすでもいい。ポジティブなエネルギーは小さくても1.1を70回掛ければ790倍になるわけで、全体にこうしたポジティブエネルギーを増やすことができれば、マネジメントはもっと楽になる。

(個人的な学び)
→想いを発信。ストーリーの共感を得られればもっとマネジメントは楽になる。
→ポジティブパワーを信じること。小さなことでもかけ合わされば大きな力になる。

賢者風愚者だった昔の自分を思い返したよい記事でした。

 

2.

diamond.jp

 ビジネスのコアとなる部分を外出ししてはダメでしょ、という話し。元々は企業内にあったナレッジを外にそのまま出してしまったがための弊害。つまり大企業社員の劣化ではなく、会社そのものが劣化しているという話し。今後、働き方改革の波に沿って、クラウドソーシング(外注先)をもっと活用する企業が多々でてくると思う。秘書サービスや資料作成サービス、リサーチサービスなど、個が予算と権限さえあえばどんどんアウトソースし、自分の仕事の効率化を図れる中で、「業務の切り出し」という観点は今後注目される話し。副業も始まるしね。

(個人的な学び)
→外注の促進は必須。しかし、業務の切り出しは会社の独自ルールが必要。
→独自ルールは、会社において何が大事な仕事であり、何がコアなのかの理解が必要。
→経営理解のあるひとが一定アウトソースの可否を握るべきか。

文章を書かない編集者がNG事例で取り上げられているけど、書かない編集者は多い。これは「書いたことがない編集者」のことだと思うけど、言葉の遣い方で誤解を招くので、辞めた方が良い。

3.

logmi.jp

英語学習の話し。世界レベルの仕事を続けることできた理由が「しつこい」というのが、あまり聞いたことがない理由で印象に残った。しつこいは、めげない。毎日へこむ経験をするわけだけど、一日一日に課題を見つけて、改善する。毎日成長実感ができれば、必ず上にいける。うさぎの亀の話し。そのためのメンタルを整えることの重要性が語られています。そういえば、この話しを聞いて、サッカーの強豪マンチェスターUの話しを思い出しました。強豪チームなので、試合に負けたり、ダービーに負けたりすると帰りのバス内はしょぼんとするのかと思いきや、何も変わらないらしいです。確か香川選手のインタビュー記事でそんな話しが。そうしたメンタリティを持つことがいちばん大事なことなのかもしれないですね。


(個人的な学び)
→成長するには何より環境が大事。英語なら自分を追い込む環境づくりを。
→一流の仕事をするなら、「しつこさ」を持て。毎日が成長の機会。
→めげないことが大事。そのためのメンタルの余裕も大事。


4.

 

blog.pr-table.com

これ、非常に大事なことが語られています。個人的にメンバーレベルでこの価値観が共有され、行動に移せていることが驚き。会社が伝えたいこと、世の中の関心ごと、そして自分の想い。その3点が重なる交差点を見つけることが編集の役割だと考えている自分のスタンスそのもので、改めてサイボウズさんの編集やマネジメントは勉強になるなぁっと思った次第。あとやっぱりよい編集チームをつくるには徹底的に議論することが大事で、そうしたチームで腹落ち感のあるメンバーがつくるコンテンツ一つひとつの積み重ねが信頼関係を構築する肝なんだと思いました。体だけだとただコンテンツをつくる、数字をつくるとなるけど、大事なことはそこじゃない。


(個人的な学び)
→オウンドメディアは何を大事にしたいのか、メンバー間の価値観の理解が大事。
→「ブランドエディター」という言葉、素敵ですね。


今週は総論マネジメントの観点が気になった1週間でした。自分の中でもそうした記事が目に留まる背景をうにうにと振り返りしてみたいと思います。

ツール・ド・フランスの選手からビジネスパーソンの真剣度を考える

「ビジネスは、スポーツに似ている」

たまにそんな話題が上がります。ビジネスもスポーツも勝ち負けのあるもの。チーム対抗戦の趣きもあり、ビジネスとスポーツは似ているという話もあながち間違っていないのかもしれません。

ただ、極限まで力を振り絞るスポーツで、ビジネスパーソンは同様に力を尽くし切っているのか、という話題がありました。この話題ででてきた背景にあるのが「ツール・ド・フランスを戦い抜いた選手」の写真です。

ツール・ド・フランスをご存じでない方のために補足すると、ツール・ド・フランスは毎年7月にフランスとその周辺諸国を舞台に行われる自転車レースです。選手たちは距離にして約3300km、高低差2000m以上という起伏に富んだコースを走り抜きます。

実は昨年、この過酷なレースを走り抜いた選手の投稿写真が大きな話題になりました。それが下記のリンク先にある写真です。 ※グロいので、苦手な人はそのままリンクを押さずにスルーしてください。

www.cnn.co.jp


強い日差しに晒されて真っ赤に焼けた皮膚。足の一面には毛細血管までが浮かび上がり、人の足というよりも人工的につくられたサイボーグの足のように見えてしまいます。

ツールド・フランスに出る選手のブログなどを拝見すると、シーズン中は自転車に乗ることに注力し、自転車に使わない筋力は重量になるので、極力落とすそうです。歩くことも控えるので、10分立っているだけでもしんどいそう。ここまでやるか、という話しですが、やるんですよね。

(参考)

www.sbaa-bicycle.com


スポーツは、厳しい。それでも勝利とその栄誉のために力を尽くす。
では、ビジネスではどうなんだろうか。

ツール・ド・フランスの選手の写真やトレーニングの内容を見てみると、突き詰めきれていないなと。

自分の仕事の打ち込み方を自転車で例えたら、自分の足はぶよぶよ? 贅肉だらけ? ちょっと筋肉ついたぐらい? スポーツの世界だったら「勝つ気あるのか、ゴラァ」って罵声を浴びせられそうですね。。。いずれにしてもこれほどまでに頭も身体もエネルギーを出し切っていないので、ぶよぶよにならないよう、精進します。ちなみに昨年こんな記事も書いていました(汗

chibiblog.hatenablog.com


いや〜、改めて思いますけど、突き詰めている人って本当にスゴいです。

指摘し合える関係はすばらしい、という話し

今日は自分のメモ書きとしての投稿です。
テーマは、「異なる視点の意見をもらうことの大切さ」です。

実は先日こんなことがありました。

ゴールデンウィークに田舎の実家に帰り、カブトムシの幼虫掘りをしていました。カブトムシの幼虫がどんなところにいるかというと、「住みやすい土壌」にいます。例えば、腐葉土のようなフカフカで栄養がたくさんあるところ。田舎でいえば畑に使う栄養度満点の土にたくさんいます。田舎の畑ではこうした肥料を加えた土が多々あり、幼虫を見つけるのは簡単です。大きなスコップで土をほじくり返せば、ザクザクと幼虫を見つけることができます。もう簡単に幼虫を見つけることができるので、毎年数十匹のカブトムシの幼虫を保育園に届けたりもしています。園児に大好評(笑

さて、それでは今日の本題へ。

今年も意気揚々と息子とカブトムシの幼虫掘りをして、ものの数分で10匹ほどの幼虫を見つけることができました。息子が「やったー」と喜ぶので、写真をパシャ。幼虫もこんなにゲットしたぜーと、10匹ほどの幼虫をパシャ。その写真をFacdbookにアップしました。

いいね!もたくさんつき、コメントでは「どこでこんなに幼虫を見つけたんですか?息子が興奮しています」と知人(男)の投稿もあり、この投稿は大いに盛り上がっていました。ところが、後日妻にこんなことを言われたんです。

「あの投稿は、よくないよ」

?という話しですが、よくよく聞くとその通りだなと。というのは、何気なくFacebookのタイムラインを覗いていたらいきなり「大量の芋虫」の写真が現れるわけです。ひとによっては気持ちわるいものを見せられた。食事中にタイムラインを眺めていて、その芋虫が目に留まったら気分を悪くすることもあるかもしれない。そんな指摘でした。

これ、たしかにそうした多角的視点をもって投稿できていなかったなぁっと反省しました。投稿はセグメント配信に設定し直しました。(実際に被害にあった方はここで懺悔します。ごめんなさい)

こうしてみると自分が気持ちよかったり、盛り上がったり、自分の知っている身近なまわりが喜んでいたりしていても、一方で気分を害したり、傷つけていたりしているのかもしれない。自分から遠い存在ほどその存在を意識できないこともあり、情報発信を生業のひとつとしている自分としては大きく反省するエピソードなのでした。

ただただ反省。

こうして自分の知らない観点と貴重な意見をくれる妻に感謝。

労働を代替すると言われる「ロボット」の語源をご存知ですか?

久しぶりの投稿になります。友人たちとまた「私たち1カ月毎日ブログを書くから読んでね」企画に参加して、毎日配信することになりました。よかったら覗いてみてください。

さて、復帰して1回目のテーマが「ロボットの語源」です。

最近、AI(人工知能)やロボットの進化によって、ひとの仕事が代替されることが話題になっています。日経ビジネスの特集「無人経済」では、オフィス業務のRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)の特集が組まれ、日本RPA業界とアビームコンサルティングの調査データが紹介されています。そこでは、RPAの導入企業の47%の適用業務が完全自動化されたとあります。以前リクルート社も単純作業の7割を削減したとあり、いかに仕事をロボットに任せ、ひとが新しい仕事に従事するのか、というのが今年の大きなテーマになっています。

www.nikkei.com

そんな中、個人的に気になっていることがあります。それが「機械がひとの仕事を奪っている」という話しです。特に「奪う」という表現です。上記の事例をとっても、リポート業務や管理業務をされていた方の仕事は代替されているわけで、その内容が間違っているわけではないのですが、何か違和感があります。

それでこの違和感を解決するひとつ切り口を見つけました。それが「ロボットの語源」です。

ロボットの語源は、チェコ語の強制労働を意味するrobota(ロボッタ)とスロバキア語で労働者を意味するrobotnik(ロボトニーク)を掛け合わせた造語です。つまりロボットとは、元々、強制労働をする労働者という意味合いから来ているわけで、強制労働をする労働者に仕事を奪われると言われるとちょっと違和感を感じます。むしろ、「変わってくれて、ありがとう」と思うべきところではないでしょうか。

では、労働を代替することがネガティブに思われるのはなぜなのでしょうか。それは、代替されたときの「変化」が怖いからというのが思い浮かびます。新しい環境、新しい仕事に従事するためには学ばなければなりません。しかも、自主的に。この「自ら、学ぶ」ことが習慣化されていなければ、変化を恐れ、今の安定したポジションを「奪われる」という表現になってしまうのも無理はないのかもしれません。

しかし、RPAを含め、機械が労働を代替する時代は必ずきます。そうした時代に生きるために、今後どういった観点が必要になるのか。それは先にポジションをつくり、そのアンバサダーとなることではないでしょうか。例えば、日経ビジネスのRPAの特集では、三井住友フィナンシャルグループのリース会社SMFLキャピタルのRPAの事例が紹介されています。そこでは、年間14万時間分を削減したロボット運用を、5日間のトレーニングを受けた「RPAアンバサダー」が職場ごとに配置して、ロボットの運用管理をしているとのことでした。つまり「生まれる仕事について、いち早くスキルを習得し、市場価値をつくる」ことが大事な観点だといえます。そして、こうした事例をもっと世の中に溢れるカタチにすれば、「仕事を奪われる」ではなく、「変わってくれて、ありがとう」と変化をポジティブに捉える方が増えるのではないか、と思ったりしています。

といってこれ、実はITエンジニアの話しでよく聞く話しなんです。新しい言語、新しい技術をいち早く習得してアウトプットして、早くその第一人者として認知されれば、新たな知見がまた集まってくるという話しをよく聞いていて、結局みな技術者観点のキャリア志向が必要になってきているんだよね、って話しで今日は締めてみます。

また明日も頑張ります。ではでは。

余談)朝方20分で書きました。まだまだの内容なので、30日間の中で精進します(笑

 

「逃げる」ための境界線をもつことが大切という話

逃げよう。
自分を縛りつけるものから。
ボーダーを超えよう。
塗り替えていこう。
自由と平和を愛し、武器は、アイデアと愛嬌。
バカにされたっていい。
心をこめて、心を打つ。
さあ、風通しよくいこう。
私たちは、新しい地図。

何かというと、先週末に公開になったNew Smapの公式サイト「新しい地図」の動画メッセージです。

youtu.be

 

既存の枠組みからまったく新しい白地の場へ。そこでは何にも縛られない自分のアイデアと愛嬌で新しい地図を彩っていける。過去との決別と前向きに未来に向かう稲垣さん、草なぎさん、香取さんのメッセージが伝わってきます。新しい発信の場を自由度の高い「AbemaTV」を選んだというから嫌が応にもその活動を期待してしまいます。

と、その中でちょっと気になった言葉があります。

逃げよう。

動画の冒頭にあるメッセージです。

逃げよう。

どうしてもネガのイメージです。

でも、彼らは「逃げよう」と言います。
そのメッセージに何かが引っかかりました。

どうしてだろう、と思うと背景には現代における「逃げる」ことの大切さが隠されているように思います。逃げられない、日本人。とにかく、日本人は、撤退戦が苦手です。美学は、玉砕です。「捕となって捕らえられるより死を選ぶ」が習わし。それは歴史からも証明されており、根底にある根性論は延々に受け継がれているように思います。会社で「逃げよう」ものならば、根性なしと思われる。村八分にされる。

しかし、どうでしょう。「逃げる」というのは本当に悪なのか。

自分が思うに結論、そんなことはありません。

その場を逃げなければ、勝てない戦もある。最後に勝てばいい。
大事なのは、「逃げる」境界線をどこに置く、という点ではないでしょうか。

事業であれば、撤退ラインがあらかじめ決まっています。2年単年黒字とか。新規事業が上手くいく会社ほど、この撤退ラインが明確です。そして、撤退=逃げることが恥とは思われない文化もあります。

しかし、個人において「撤退ライン」を明確に持つ方って少ないように思います。
いま、ヤバい。逃げろ、みたいなラインです。

代表的な例でいえば、メンタルヘルスです。産業医の方に「撤退ライン」についてお伺いすると撤退ラインは以下のようにいいます。

「没頭していた趣味に、没頭できなくなったら注意」といいます。

没頭する趣味は、もっともストレスフリーの対象。そのストレスフリーにも行動を移せないというのは、それだけストレスを溜め込んでいる証拠なのだそう。また上司目線で部下を見るときのメンタルヘルスの境界線は、「ケチな飲み屋」。

け:欠勤
ち:遅刻・早退
な:泣き言を言い出す
の:能率の低下
み:ミスが多い
や:辞めたいと言い出す

個人においても、「逃げる」境界線をつくることができます。

「逃げる」は悪ではなく、勝つ為の手段。最後に勝てばいい。と考えれば、その境界線の知識を持ち合わせ、自身で判断することがより大切な時代のかもしれません。そんな背景をなんとなくですが、スマップのメッセージにも感じたのかな、と思ったり。

最後に。


逃げよう。


メッセージ、ひとつで
時代の空気を変えるアイドル「Smap」。やっぱり、カッコいいです。

1週間で気になった記事を改めて洗い出してみる。そして、考える(2017/09/22)

おなじみのこの企画。だいぶ期間が空いてしまいましたが、その間に気になった記事をまとめて振り返ってみました。

1.

business.nikkeibp.co.jp

使用期限切れの鶏肉を使った「チキンマックナゲット」問題が大きくメディアに取り上げられ、飲食業会ではもうやっていけないのではないか、日本撤退か、とまで言われたマクドナルド。それが今ではV字回復して、上場後、最高益を出すのではないかというところまで回復しました。その舞台裏の記事です。

足立さんが取り組んだのが、「価格と価値のバランス」を磨くこと。以前までのマクドナルドは100円マックなど、低価格訴求であったけど、いまはバリューを訴求し、正しい価格でお客さまに買ってもらうことにシフト。身体に悪いとか思うんだけど、食べちゃうというラーメンみたいな背徳感を受け入れ、レギュラーでもおいしいを訴求するなど、問題があった時期からは大きく転換したとのこと。個人的にマクドナルドのマーケの方に直にヒアリングしたことがあるのですが、ここで出るバリューが「美味しくて、楽しい!」ってこと。マックに行くとなんかワクワクするみたいな!ハッピーセットとかもそうだし、マクドナルド総選挙など、以前に比べると明らかに「楽しそう」が全面に出ている。それが、社員の忠誠心という土台があり、マクドナルドが心底好きなひとが発信するからそんな空気が出たのではないか。HOWが注目されがちだけど、V字回復を支えた社員の忠誠心は何から生まれたのか。そして、それを一致団結させるためにどのような施策を打ったのか、そんなお話も聞いてみたいな、と思った記事でした。

(個人的な学び)
→企業の本当の価値を見定めること。価格、健康思考ではなかった。
→企業への忠誠心は何から生まれたのか。
→顧客に寄り添いすぎてもダメ。低価格、健康志向など、時代に寄り添いすぎた失敗。
→マックは、「美味しくて、楽しい」。健康に悪そうも受け入れた背徳感の勝利

2.

web-tan.forum.impressrd.jp
ソーシャルメディア時代、顧客と企業の接点は拡大しています。今でこそ、コミュニティマーケティングとか、アンバサダーマーケティングとか言われますが、その走りのひとつとなったのが、サントリーさん。そのストーリーの話ですが、「工場見学から始めることを決めていた」という話。HOWは置いておくとして、いずれにしても「顧客に楽しいを思ってもらう」というのが前述のマックと同じなんですよね。「○○○×楽しい」—バリューを生む方程式は多々あると思うんですけど、いまの世の中、どの業界においても「楽しい」はひとつの大きな差別化を生む価値なのかもしれません。

「書きたくてたまらないような場を設定しなければ、負けなんです」

この言葉に、いまのソーシャル時代のポイントが凝縮されているように思います。

(個人的な学び)
→場づくり、環境づくりが重要。ソーシャルメディア時代のポイント
→場づくりの基本は顧客の悩み優先。買って、書いては絶対にNG。
→場づくりは結局ひと。企画者のスタンスがモロ出るので、スタンス明確化は必須


3.

signifiant.jp


情に流されず、意思決定すべしー森川さんのメッセージ。とかく日本の経営では「あいつ、頑張っているし、もう1年様子みるか」とか、情に流されることが多々あります。それがいい方向に向かうこともあるけども、ダメにすることの方が多い。そういう意味で、経営者は「信頼されつつ、嫌われる」ぐらいがちょうどいい。

ほか、気になったのは「一部のお客さまに評価されるからおれは正しい」と思うなという点。マーケ観点からするともっと大きな市場を逃すことになるし、停滞のはじまりともいえる。メディア運営していると既存読者の評価があるからOKになりがちだけど、なくしているものはないか、という視点は常にもつべき。そう考えると評価者は編集長だけでなく、もうひとりいるべきか。うむむ。

(個人的な学び)
→決断する人は、情に流されるな。冷静に数字とマーケットで判断
→顧客を見誤るな。自分の都合で、顧客意見を持ち込むな
→マーケットは広い。独断で狭める行為がないか、常に評価せよ


おまけ:

siliyoro.com

最後に。
最近読んだブログでもっとも刺激を受けた話。金ない、知識ない、コネないの著者が憧れでシリコンバレーに渡り、ビジネスを立ち上げたという話。何もないひとでもここまでできる。リソースが潤沢な企業の新規事業担当がなぜ、それができないのか。そのヒントが詰まっているように思います。

う〜ん、今回はマーケティングの話ばかりが目につきました。自分が運営するメディアももっと非連続な成長をするためにどうすればいいのか、悶々としているところがあったからかな。ということで、引っかかった何かからまた深掘りしたいと思います。

うにうに、考えます。では、よい週末を〜!

止めることの決断にも責任をとってもらいたいよね、という話

「新規事業の起案が、まだデータが足りないなど、なかなか進まない」
「調査が足りないといわれ、なかなか承認されない」

大企業でよくある光景です。
大企業ではとくにそうですが、新しい起案には前例がなく、それが成功する裏付けや成功する根拠を明確化したい、という決裁側の気持ちが反映されていきます。当然、「データはないのか?」「前例はないのか?」という話になりますが、数字がないまだ見ぬ市場へのアプローチであるため、そもそもデータというものがすべて懸念を払拭するほど、世の中にあるわけではありません。

ここで、提言したいことがあります。
それは「決裁を止める側にも責任をとってもらいたい」という話です。

いまの日本の決裁システムは、異常に「失敗しないこと」に重きを置いたシステムになっています。極論、失敗する要素があるのであれば、全部止めて、絶対に成功する施策を前進させれば、いちばん決裁者として評価されるシステムです。そこには、失敗を許容する仕掛けがないので、新しいことに対する決裁に及び腰になるのも無理はないわけです。減点法の評価制度がある企業であれば、尚更です。

ちなみに、俗にいう日本の根回し人数をご存知でしょうか。

日本は、他国に比して多い、「平均4.34人」
ちなみに、イギリス、ドイツなどは、平均で「2人弱」です。
およそ倍の人の根回し=決裁をとる工数がかかるというわけです。

▼(参考)厚労省資料:最近の働き方の特徴
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000140704.pdf


リスクを避け、小さな成功でもプラスになることが評価される。
さらにその決裁者や関係者も他国に比して多数存在する。
これで大企業で新しいことを、スピーディに動かすことができるわけがありません。

そこで、考えました。
この決裁システムに風穴を開けることはできないか。

それが「企画を止める決断にも責任をとる」というもの。

いまは、企画を止めることに対するデメリットが何もありません。しかし、実際には会社や事業の未来に多大な損失を生んでいる可能性があり、しっかりとこの決断への評価をすべきだという考えです。

企画を止めることにも責任が発生するのであれば、いやがおうにも「やる、やらない」に対して真剣に考えるでしょう。データがないのであれば、実際に足を運び、自前でマーケティング活動に勤しむという行動もできるかもしれません。もちろん、時間軸が長い話になるのかもしれませんが、やらないよりもやった方がいい、という話。

まずは、決裁の評価の適正化を。
そして、勇気ある決断がもっと賞賛される仕掛けを
まずはつくるべきではないでしょうか。

「愚問」は、周りに気づきを与える「最高の質問」という話

「なんて馬鹿な質問をしているんだ、あいつ」

イベントの質問タイム。馬鹿な質問をすると観衆の冷たい視線を浴びると思い、どうしても積極的に挙手して質問をする空気ができない。日本のイベントでよくある風景ではないでしょうか。

今日は、みんなが馬鹿だと思う「愚問」について考えてみます。

まず、なぜ日本のイベントでは、積極的に質問が出てこないのか。実はこんな背景があると言われています。それが、文化的価値観の違いです。

よく知られるのは、ヘルート・ホフステードがIBMで行った国別の文化的価値観の違いを調査・分析、数値化したものです。その特徴を表したのが「集団主義個人主義」の違いで、集団主義的の性格は「集団に忠誠を尽くす代わりに保護され続ける」と考えるため「私たちは」という視点で物事を考える傾向が強くなるといわれています。そのため、イベントでは「みんなの役に立つ質問をする」という意識が顔を出し、「私たちは」という主語で質問を考えるため、大規模になればなるほど質問が出にくくなるというメカニズムが発生します。ちなみに、日本人は集団主義です。

では、そうした場を壊すことはできないのか。
その解のひとつが「愚問」ではないかと思うんです。

「こんなこと、聞いちゃっていいのかな?」
「どうしても、このことだけは聞いてみたい」

そんな質問は、他人からすると自分とはまったく関係ない「愚問」に映るかもしれません。しかし、この愚問が前述の集団主義の価値観を壊す力を生むのではないでしょうか。

ここで事例を紹介します。

それは、日本人初のノーベル賞学者の湯川秀樹さんです。実は湯川さん、京都大教授の定年間際にも学内に積極的に顔を出し、とんちんかんな愚問を連発していたそうです。当然、研究者に撃退されていたそうですが「俺、あほや、、、、」と落ち込むものの、時折、まったく切り口の違う視点を与えて、議論を活性化していたそうです。きっと湯川さんもそうですし、その場にいた研究者の学びも湯川さんのとんでも質問によって深まっていたのではないでしょうか。結果、このあともノーベル賞受賞者が続くという結果につながっています。

(参考)
京都新聞 凡語 - 素直な愚問


愚問は、「あいつは馬鹿だ」と思われる代わりに場の空気を変えます。そして、ときに驚きの発見を生みだします。

「愚問」は、ときにみんなの知りたいを共有する質問になる
「愚問」は、ときに質問の敷居を下げて、議論を活性化する
「愚問」は、ときに驚きの発見を生み出す

なんかこう考えると、
純粋に知りたいという個人的な「愚問」の力ってすごい気がします。

そして最後に。

こうした愚問っていちばん、「権力者」ほどすればいいと思うんです。湯川秀樹さんが愚問を連発していれば、学生も研究者も「俺もこんな質問していいんだ」と積極的に質問する空気を生んだのではないでしょうか。きっと日本特有の集団主義の空気を打ち壊し、議論の活性化、はたまた新しい気づきを得ることができるのではないでしょうか。

「愚問」は、最高の学びを与える「最高の質問」なのかもしれません。

変わらない、ということは信頼できるという話

「変わらない、ということは信頼できる」

先日、とある著名経営者から取材時にもらった言葉です。ずっとやり続けているから、信頼できると思った。だから、取材を受けたというお話でした。この言葉が自分の中で妙に嬉しい気持ちになったのと心に残ったので、この言葉について少し考えてみました。

背景を紹介します。

実はこの取材を申し込んだインタビュイーは、わたしが以前セミナーを企画し、登壇いただいた経営者でした。もう6年前の話です。テーマは「好きを仕事にすることができるのか」。当時わたしは、入社5年目で壁にぶち当たっている86世代向けに「キャリアセミナー」を毎月開催していました。内容は、著名経営者やビジネスパーソンをゲストにその方の20代を振り返ってトークしていただくこと。それを題材に登壇者とセミナー参加者いっしょにワークショップを実施し、考えを深めるというものでした。

ふと振り返ると、内容の進化はあるもののたしかに「これからの働き方」という軸はぶれずに施策だけを変えて、いまがあるように思います。

「変わらない、ということは信頼できる」

変わらないのは、施策ではなく想いや考えとなるそのひとの行動軸です。そして、この行動軸を曲げずにやり続けている、というのは、企業内でいうと本当に難しいということもあります。市場が変わり、会社方針も変わっていくわけです。自分の立場もメンバーから責任あるポジションに変わっていくわけです。中間管理職であれば、現場の目標達成が第一優先となり、メンバー時代の想いの軸は薄れていくこともあります。「想いをもってやり続ける」、自分の意志で始めたアクションをやり続けることの難易度は会社の中で仕事をする方であれば、何となくイメージができると思います。

では、軸をぶらさず、やり続けるにはどうすればいいのか。やり続ける、というのは同じことを同じように進めていればいいというわけではない。シンプルですが答えは簡単で、「自分軸を大切にしつつ、会社の方向性を理解し、現場のニーズを理解し、その交差点となる場に自分の新しい施策を置く」こと。やり続けるということは、「生み出し続ける」と同義なんじゃないかと思うんです。

改めて、こう自分の中で勝手に振り返って経営者に言われたことを思い出し、また妙に嬉しく思いました。

「やり続けていることがスゴい。だから、信用できる」