小さな編集長の雑感(限定版)

小さなメディアの編集長が、仕事や働き方の気づきを書き留めるブログ。限定版。

止めることの決断にも責任をとってもらいたいよね、という話

「新規事業の起案が、まだデータが足りないなど、なかなか進まない」
「調査が足りないといわれ、なかなか承認されない」

大企業でよくある光景です。
大企業ではとくにそうですが、新しい起案には前例がなく、それが成功する裏付けや成功する根拠を明確化したい、という決裁側の気持ちが反映されていきます。当然、「データはないのか?」「前例はないのか?」という話になりますが、数字がないまだ見ぬ市場へのアプローチであるため、そもそもデータというものがすべて懸念を払拭するほど、世の中にあるわけではありません。

ここで、提言したいことがあります。
それは「決裁を止める側にも責任をとってもらいたい」という話です。

いまの日本の決裁システムは、異常に「失敗しないこと」に重きを置いたシステムになっています。極論、失敗する要素があるのであれば、全部止めて、絶対に成功する施策を前進させれば、いちばん決裁者として評価されるシステムです。そこには、失敗を許容する仕掛けがないので、新しいことに対する決裁に及び腰になるのも無理はないわけです。減点法の評価制度がある企業であれば、尚更です。

ちなみに、俗にいう日本の根回し人数をご存知でしょうか。

日本は、他国に比して多い、「平均4.34人」
ちなみに、イギリス、ドイツなどは、平均で「2人弱」です。
およそ倍の人の根回し=決裁をとる工数がかかるというわけです。

▼(参考)厚労省資料:最近の働き方の特徴
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000140704.pdf


リスクを避け、小さな成功でもプラスになることが評価される。
さらにその決裁者や関係者も他国に比して多数存在する。
これで大企業で新しいことを、スピーディに動かすことができるわけがありません。

そこで、考えました。
この決裁システムに風穴を開けることはできないか。

それが「企画を止める決断にも責任をとる」というもの。

いまは、企画を止めることに対するデメリットが何もありません。しかし、実際には会社や事業の未来に多大な損失を生んでいる可能性があり、しっかりとこの決断への評価をすべきだという考えです。

企画を止めることにも責任が発生するのであれば、いやがおうにも「やる、やらない」に対して真剣に考えるでしょう。データがないのであれば、実際に足を運び、自前でマーケティング活動に勤しむという行動もできるかもしれません。もちろん、時間軸が長い話になるのかもしれませんが、やらないよりもやった方がいい、という話。

まずは、決裁の評価の適正化を。
そして、勇気ある決断がもっと賞賛される仕掛けを
まずはつくるべきではないでしょうか。