小さな編集長の雑感(限定版)

小さなメディアの編集長が、仕事や働き方の気づきを書き留めるブログ。限定版。

「仕事を奪われる」という表現はやめませんか、という話し

先日、AI(ロボット)に仕事を奪われるということに違和感を感じるという話しを、ロボットの語源という切り口で記事にしてみました。

chibiblog.hatenablog.com

ロボットは、強制労働と労働者という言葉を掛け合わせた造語。ロボットに奪われるのではなく、強制労働する労働者に仕事を奪われるという表現になると途端に違和感を感じはずです。翻って考えてみると、これは奪われるというわけではなく世の中に次々と生まれた強制労働を機械が代替し始めたというわけで、ひとの観点からするとありがたい話しのはずです。

元々、人工知能×代替というキーワードが注目をされ始めたのは、野村総合研究所NRI)とオックスフォード大のオズボーン教授の共同研究が発端だったように思います。日本の労働人口が「技術的には」49%が人工知能やロボットなどで代替可能というリリースが、メディアによって「仕事が奪われる」という表現に変わってきたという気がします。おそらく49%代替という数字はどこかのメディアでご覧になったことがあるのではないでしょうか。

www.nri.com


しかし、ここには続きがありました。実はわたし、来日したオズボーン教授とNRIの研究発表会に招かれて参加したんです。その研究発表会の場でオズボーン教授はこんなことを言っていました。

人工知能や機械に仕事が代替されていく中で、国民性によってそれがポジティブなのか、ネガティブなのか。捉え方に差異があります」と話しをされていました。そして、ポジティブの代表的な国のひとつが日本だと紹介していたのです。

なぜ、日本がポジティブに捉えているのか、というと「元々、就労人口が減少しているため、代替となる労働力が求められているから」。そして、もうひとつが「文化的背景から、ロボットや人工知能と仲良くなれる」ということがポジティブにインプットされているからだそうです。

例えば、ドラえもんですね。

ロボットがお友達となって大の親友として成長できる。苦しいときに助けてくれる。そうした考えがDNAにインプットされているみたいです。昔でいえば、鉄腕アトムだったり。「ロボットは人を助けてくれる」というポジティブな存在でした。であれば、日本がもっとも「人工知能の活用」「ロボットの活用」の先進国になれるポテンシャルがあるわけで、メディア側にはここを後押ししてもらいたいし、すべきことなのではないか、と思っています。

「こんなことも代替できちゃいました。おめでとう」
「ここも、代替できました」「お〜、すごいね」

そんな空気づくりができたらいいですよね。だからもう「仕事を奪う」という表現はそろそろ止めにしたいものです。

最後に余談をひとつ。

人工知能の前に世の中を変えると言われたものがありました。それが、マイクロソフトの「Office」です。発売当初、Excelの登場によって会計士の仕事がなくなると言われた時代があったそう。しかし、現実はむしろ逆で、懸念していた以上に雇用や仕事が生まれることになりました。今回も同様のことがいえます。大事なことは変化を捉え、学び続けること。そして、自分自身が変わること。怖がることなんて何にもないんです。