小さな編集長の雑感(限定版)

小さなメディアの編集長が、仕事や働き方の気づきを書き留めるブログ。限定版。

年代別にするのはなぜか、をふと考えてみた

週末の日曜日、3歳の息子とサッカー教室に参加してきました。参加したのは、約100名近くの子どもたち。年齢は、5歳から3歳までの子どもたちです。息子と同じ3歳の子どもとなると、レベル感だとまだまだボールを蹴る、という基本動作もできる子、できない子がいます。上手な子はドリブルも様になっていて、あまり慣れていない子は止まっているボールでもキックを空振りしてしまいます。

そんな3歳たちが1時間の教室のなかで、実施するのはだいたいこんな感じです。

1…簡単な体操 体を上下にするとかジャンプするとか
2…鬼ごっこ コーチがギプスを尾っぽに見立てて、それをとるため追いかける
3…くねくね走り ポールがあるところで、ポールをくねくねとかわしながら走る
4…コーン倒し 小さなコーンをみんなで倒す。大人は倒れたコーンをまた戻す
5…ボール運び コーンを逆さまにボールを乗せて、落とさないように運ぶ
6…ボール蹴り 坂でボールを蹴って、戻るボールをまた蹴る

ボールは個人で準備。一人ひとり自分のボールを持っているから、みんなが一斉に自分達のボールをゴールに蹴り込みます。ふたつゴールがあるので、行ったり来たりして、最後はコーチに挨拶をして終了です。

ここで、ふと違和感を感じたんです。そもそも、
「なぜ、細かく年齢別にチームを分けて、練習するのだろうか?」

スキルに合わせてチーム分けをする目安として、年齢別(※ここでは、年少、年中、年長)に分けるのかもしれないですけど、先に述べたとおり、実際は同じ3歳といえば能力に差があり、あまり効果的とはいえない気がします。では、なぜ、わざわざ年齢別にするのでしょうか。

もともと、この「年齢別」が気になったのは、ひとつの話がキッカケになっています。それは「浮きこぼれ」の問題の話です。

浮きこぼれ」とは「落ちこぼれ」の逆で、高い学力、能力があることでいまの環境に物足りなさを感じたり、疎外感を持ったりすること。実際に他の生徒から疎外されたりすること。学級崩壊や不登校の原因にもなると言われている問題です。原因によく挙げられるのは、塾の影響です。通塾している子どもとしていない子どもの学力に差が出て、先んじて学習してしまう通塾している子どもが公立の学校の授業において浮いてしまうという話です。

今回のサッカー教室においても、同様のコトが起きているような気がしました。サッカーがうまい子どもは親といっしょによく練習しているため、非常に上手です。そして、最近はYoutubeなどでサッカーの指導方法を具体的に紹介している動画などもあるので、子どもといっしょに動画を見ながら、カリキュラムを組むことができます。親と子どもの意識によって、能力にだいぶ差がでてしまいます。

そうした背景から、今回のサッカー教室でいえば、

1…具体的にスキル面から、クラスを分けてみてはどうか
2…スキル面を重視し、年齢や性別はとくに問わないようにしてみてはどうか

こんなことをふと思ったり。実際に自分の息子が参加する別のスポーツの場合では、3歳から5歳の子どもたちがいっしょのことをやります。ここでいいな、と思うのは、「年齢が上の子どもたちが、積極的に下の子どもの面倒をみる」という思考がはたらくこと。下の子どもへのアドバイスをする子どももいて、リーダーシップを発揮する上の子どもたちを頼もしく思ったりしています。

子どもはほかの子どもをみて、学ぶ

今回のサッカー教室のような年齢別ではできない、お兄ちゃん、お姉ちゃんから積極的に学ぶカリキュラムもあっていいのではないか。そして能力だけに目を向けるのではなく、下の子どもだちをリードする「リーダーシップ」など、これまでとは異なるスキルを身につける機会になるかもしれません。