小さな編集長の雑感(限定版)

小さなメディアの編集長が、仕事や働き方の気づきを書き留めるブログ。限定版。

カッコつけたコンテンツはウケない。その理由について。

先日、某有名なビジネスブロガーと話をしました。テーマは、「読まれるコンテンツとはどういうものか」というもの。今日は、このテーマを扱っています。

■カッコいいコンテンツは、意外に読まれない
某有名ビジネスブロガーをAさんとしましょう。そのAさんは、「カッコいいコンテンツほど、読まれる文章にならないんです」と、おもむろに話をはじめました。

カッコいいコンテンツとは、どんなコンテンツものかというと、

・起承転結の枠組みがしっかりしていて、
・読み手に伝えたいことがはっきりしているもの

何気にしっかりとしていて、文章もわかりやすいので、読者にはウケそう。しかし、Aさんはこう続けます。

「予定調和のコンテンツで面白みに欠けるんですね」

この言葉にピンっときました。たしかに取材前に起承転結をしっかりと定め、構成案に沿ったインタビューをします。情報として読者に届けたい情報を漏れなく取得できるのですが、ここで大きな落とし穴があります。

事前に固めておいた起承転結に沿って取材するため、構成がみな同じになりやすいことです。水戸黄門のように印籠が出るまで「待ってましたー」と言えればいいのですが、そうもいきません。

そして、いちばん大事なことがあるといいます。

「理屈ではないんですが、感情が乗っていないコンテンツはつまらない」

例えば、強みやPRしたいことばかりではなく、弱みや本音がつまった話。Aさんが取材する場合には、特にフレームは固めずに、とにかく言いたいことをしゃべってもらい、その情報をうまく編集して、コンテンツ化しているとのことでした。

個人的にもこの感覚はもっていて、猛烈に読者に伝えたいことを多少、文章が汚いものであっても、思いのママに夢中に書いたものの方が面白いコンテンツになりやすいんですよね。逆に、型にはまってしまったコンテンツは、どうも感情を揺さぶるものがない。ここがなんとも不思議です。

とある場面で、糸井重里さんのコラムか何かでこんなことがありました。

「いいコンテンツは、自然に転がる。自分が見えなくなったところでもまだ転がって音がしてる」
「継続しているときに、たまに転がるものができればいい。いつも全力ではなくて、たまに転がるものによって、「ときに面白いコンテンツがある」という認知があるだけで、読者は十分、面白いメディアとして認知してくれる」

ひとことでいえば、筋がいい、という話ですが、いまの世の中、フレームに沿ったコンテンツが溢れ変えるばかりで、さらにその手法をみなが真似てくる時代です。だからこそ、逆にその枠組みを取っ払い、感情の赴くままに書いた方が刺さるコンテンツができるのかな、とふと思い出し、今日の記事としてめもしておきます。