小さな編集長の雑感(限定版)

小さなメディアの編集長が、仕事や働き方の気づきを書き留めるブログ。限定版。

「逃げる」ための境界線をもつことが大切という話

逃げよう。
自分を縛りつけるものから。
ボーダーを超えよう。
塗り替えていこう。
自由と平和を愛し、武器は、アイデアと愛嬌。
バカにされたっていい。
心をこめて、心を打つ。
さあ、風通しよくいこう。
私たちは、新しい地図。

何かというと、先週末に公開になったNew Smapの公式サイト「新しい地図」の動画メッセージです。

youtu.be

 

既存の枠組みからまったく新しい白地の場へ。そこでは何にも縛られない自分のアイデアと愛嬌で新しい地図を彩っていける。過去との決別と前向きに未来に向かう稲垣さん、草なぎさん、香取さんのメッセージが伝わってきます。新しい発信の場を自由度の高い「AbemaTV」を選んだというから嫌が応にもその活動を期待してしまいます。

と、その中でちょっと気になった言葉があります。

逃げよう。

動画の冒頭にあるメッセージです。

逃げよう。

どうしてもネガのイメージです。

でも、彼らは「逃げよう」と言います。
そのメッセージに何かが引っかかりました。

どうしてだろう、と思うと背景には現代における「逃げる」ことの大切さが隠されているように思います。逃げられない、日本人。とにかく、日本人は、撤退戦が苦手です。美学は、玉砕です。「捕となって捕らえられるより死を選ぶ」が習わし。それは歴史からも証明されており、根底にある根性論は延々に受け継がれているように思います。会社で「逃げよう」ものならば、根性なしと思われる。村八分にされる。

しかし、どうでしょう。「逃げる」というのは本当に悪なのか。

自分が思うに結論、そんなことはありません。

その場を逃げなければ、勝てない戦もある。最後に勝てばいい。
大事なのは、「逃げる」境界線をどこに置く、という点ではないでしょうか。

事業であれば、撤退ラインがあらかじめ決まっています。2年単年黒字とか。新規事業が上手くいく会社ほど、この撤退ラインが明確です。そして、撤退=逃げることが恥とは思われない文化もあります。

しかし、個人において「撤退ライン」を明確に持つ方って少ないように思います。
いま、ヤバい。逃げろ、みたいなラインです。

代表的な例でいえば、メンタルヘルスです。産業医の方に「撤退ライン」についてお伺いすると撤退ラインは以下のようにいいます。

「没頭していた趣味に、没頭できなくなったら注意」といいます。

没頭する趣味は、もっともストレスフリーの対象。そのストレスフリーにも行動を移せないというのは、それだけストレスを溜め込んでいる証拠なのだそう。また上司目線で部下を見るときのメンタルヘルスの境界線は、「ケチな飲み屋」。

け:欠勤
ち:遅刻・早退
な:泣き言を言い出す
の:能率の低下
み:ミスが多い
や:辞めたいと言い出す

個人においても、「逃げる」境界線をつくることができます。

「逃げる」は悪ではなく、勝つ為の手段。最後に勝てばいい。と考えれば、その境界線の知識を持ち合わせ、自身で判断することがより大切な時代のかもしれません。そんな背景をなんとなくですが、スマップのメッセージにも感じたのかな、と思ったり。

最後に。


逃げよう。


メッセージ、ひとつで
時代の空気を変えるアイドル「Smap」。やっぱり、カッコいいです。