小さな編集長の雑感(限定版)

小さなメディアの編集長が、仕事や働き方の気づきを書き留めるブログ。限定版。

子どもたちから学んだ、自己認知と他者認知のGAPについて

知人とのブログ企画として、10月限定で毎日記事を配信するという取り組みをスタートしました。といっても、個人的には肩肘張らずに自分自身が感じたありのままを残そうと思っています。今日のテーマは、子どもから得た学び。具体的には「自己認知と他者認知のGAP」についてです。

認知のGAPとは、自己認知「私は、○○なひとである」と他者認知「私は、○○なひとである」の乖離のこと。小さければ、コミュニケーションのストレスも減り、良好な関係を築きやすい。一方で、乖離が大きければ、誤解を生みやすく、ストレスフルな関係になるというもの。そして、このGAPは思っている以上に乖離しやすいという話です。この乖離がわかりやすく表現されたのがご存知かもしれませんがDOVE(ダヴ)のCMです。

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CMの内容は、ダヴのとある実験です。証言に基づき似顔を描く警察庁の捜査員が、女性の似顔絵を2つずつ描きます。一つは自分の説明に基づき、もう一つは他人の説明に基づく似顔絵。この2つの似顔絵によって見えてくる「自身が考える美しさ」と「他の人から見た美しさ」が異なるというもの。いかに自己認知と他者認知が離れているのか、がわかるCMです。

 

話を戻して、往々にして誰もがこの認知のGAPに陥ることがあります。最近自分自身が強くGAPを感じた瞬間が「子どもたちとの遊び」でした。そして、ここで認知の乖離を埋める意識をより強くもつことにつながったんです。

子どもたちと父母の遊びの場では、顕著に子どもが寄りつき、いじられまくる父親とまったく相手にされない父親のほぼ2種類に分かれます(父親であるひとは思い当たる節があるかと、、、)。正直いうと、自分は子どもが寄り付かない側の父親でした。そして、やんちゃな子どもたちにいじられまくるパパをみて、「うらやましいなぁ」って気持ちがありました。それで、なぜだろうと考えたわけです。なぜ、このようなことが生まれるのか。

理由は、簡単です。子どもが寄ってくる父親は「わかりやすい」んです。リアクションも大きく、何を楽しいと思い、何を嫌だと思い、何に怒りを感じるのか。とにかくわかりやすい。逆に子どもがよりつかないのは、反対で「わかりにくい」ひと。喜怒哀楽が乏しく、笑顔であるもののうすら笑顔で、わかりにくい。得体の知れないひとに見えてるんでしょうね。

これを自分に置き換えてみると、まぁ笑えるぐらい表情が乏しいわけです。子どもたちが面白いと思っていることに心から面白いと思っていなさそうな、うすら笑顔(苦笑。ホームパーティなどのビデオを見ると一目飄然です。しかし、映像でみればわかるものが、実際には認知していないんです。いや、ほんとは思いっきり笑って、楽しんでいる気でいるんですが、まったく表情が伴っていない。自己認知と他者認知に乖離が生まれている状態です。

自分はこれをキッカケに、喜怒哀楽を自分が思う以上に出すことを意識しました。楽しいことは、おもいっきり楽しい。笑えることには、おもいっきり笑う。残念なことには、おもいっきり残念に思う。結果は、子どもたちとふれあう自己認知と、映像を介する自分の乖離が減り、子どもたちの慣れを差し引いたとしても、よりよい関係をつくれてきたかな、と思っています。

これ、実は仕事場でもいい影響が生まれていて、同僚から「雰囲気が変わった」と言われる起因になっています。今日、なぜこのテーマを掲げたかというと、「日々、子どもとの関わりから学び、仕事に大きな影響を生むことがある」ことを子どもたちから学んでいるからです。

今後もこうして、子どもたちから学びを得ることが多いんだろうな、と思うので、まずは最近子どもたちから学んだ顕著な事例を記事化してみました。

さて、10月の3連休。この3日間にどんな学びがあるのか。楽しみです。