「潔い」という言葉が心に残った理由を考えてみた
変わったタイトルです。
あるヒューマンドキュメントを見ていて、心にふととまった言葉が「潔い」という言葉。これは、ある女性編集者が企画で出していたコピーです。
“働く時間は、自分で決める” そんなママって潔いい!
※雑誌の企画タイトルより
この言葉の裏には、ふだん自信のある態度がとれず、心がふさいで気分が晴れないというものが含まれています。澄み切った感じで、すがすがしい。自信に溢れ、未練もなし。さっぱりしている。そんなものへの憧れがなんとなく感じられました。
そして、「潔い○○」という言葉で、デザインを挙げている事例も過去にありました。デザイナーの佐藤可士和さんが2006年のドコモの携帯コンセプトで「潔い」としたこと。当時の広告はタレントを用いた機能訴求が主流で、オフライン広告では、タレント押し、機能押しが当然のような時代でした。
その中で、携帯の写真だけ。コンセプトである「潔い」を反映し、キャッチコピーも機能も説明することがない広告群が、何よりも驚きだったことをいまでも覚えています。
▼(参考)潔い携帯デザイン
< 潔い(いさぎよい) ※Wikiより >
澄み切った感じで、すがすがしい。特に態度が、未練げもなく、さっぱりしている。
この言葉。なぜか、心に刺さっています。
その理由を考えてみたとき、「潔いひと」の反対のケースを
考えるとわかりやすくなりました。
ーー淀んでいて、うっとうしい。態度が未練たらたら、さっぱりしていない。
こう聞くと、付き合いたくないひとになります。
そして未練たらたらなど、あっる一面だけでもダークサイドに陥ることが
多々あることも事実です。
何が言いたいかというと、「潔い」は心が清くて私欲がなく、
後ろ暗いことのまったくないさまと捉えられます。
しいてここでいえるのは、「決められるひと」ということ。
また、私欲がなく、ギバー的発想のものといえるのかもしれなせん。
何か「こうありたい像」に、「潔い」という言葉がひっかかっていたのかもしれません。
最近、ライフシフトでも紹介されている
有形資産だけでなく、無形資産を貯めていくことが長く働く秘訣という話があり、
この「潔さ」を意識することが、ゆるくつながれる人の秘訣なのかなとも思ったり。
潔いひと というのをちょっと意識してみたいと思います。