小さな編集長の雑感(限定版)

小さなメディアの編集長が、仕事や働き方の気づきを書き留めるブログ。限定版。

才能を開花し、進歩しつづけるひとはどんなひとだろうか?

ーー才能を開花し、進歩しつづけるひとはどんなひとだろうか?

ビジネスパーソンならば、誰もが気にするテーマではないでしょうか。自分はもっとできる、自分の可能性をもっと広げたいとか。でも、往々にして、こうしたマインドセットって逆に進歩の妨げになるように思ったので、今日はそのことについて書いてみます。


なぜ、「自分はもっとできる、自分の可能性はもっとある」と思い込むことが逆に成長を止めてしまうのか。

あくまで自分の考えですが、成長するとは、変化することです。変化には、まったく異なる知見や経験が必要になります。ここでは、ひとから学ぶということになります。つまり、“謙虚な態度”が大切だということ。ひとに聞こう、聞こうという姿勢が自ずと自分の変化につながり、変化は成長につながるという仕組みがまわりだします。

ここでひとつ紹介したいエピソードがあります。
それは、某著名なTVディレクターの方の話です。元々鳴かず飛ばずだったその方は30歳まで日の目を見ない生活で、自分の才能のなさから退職しようとも考えていたそうです。しかし、あることがキッカケで突破口が見えたといいます。

それは、「自分が嫌いなものをあえて取り込んで、壁を突破した」こと。

具体的には、自分で企画するものは、すべてNGで自信を失っていて、飲み会に場で知人に「何が面白そう?」と聞いたそうです。その回答は、そのディレクターが好まない企画趣旨だったそうですが、それを受け入れ企画したところ、大ヒットに。ここで学んだことは、「自分を捨てることこそが、まずは成長の大きな一歩となる」ということ。

しかし、その成長は長続きしません。小さな成長で有頂天になっていたディレクターは次のパロディの番組企画で役者にこう言われたそうです。

「笑わせようとしていて、笑えない」

それは視聴者ではなく、「単なる才能の見せびらかしになっていたこと」に気づいたそうです。


最初の話に戻します。

結論、力を発揮するキッカケは「ダメを受け入れることから、才能が開花する」ということ。逆に自分はもっとできる、自分の可能性はもっとあるという思考は、そのスタートに立てず、結果、成長を鈍化すると思うんです。

その人気ディレクターの方いわく、「若いディレクターは、最初に企画した番組が成功してしまうひとの方が伸びない。理由は、その成功体験から抜け出せなくて、芽がでてこなくなってしまうから」。これが典型的なパターンだといいます。皆さんの周りでも、小さな成功体験に縛られて、伸び悩む方がいるのではないでしょうか。

ある方はこれを「成功体験の復讐」と呼んでいました。

過去の成功体験が将来、自分にリベンジを仕掛けてくる。だから、小さい成功にいつまでもすがっていないで、その成功を捨て、変わることが大切です。


変わることの繰り返しが可能性を広げ、そして、そのひとの個性を決める。

まずは、ひとの声に耳を傾けること。
そして、あえて自分が嫌いなことを受け入れてみること。
そこから、変化がはじまるのかもしれません。

最後、ふとよぎった言葉を書いて、今日は寝ます。
おやすみなさい。

「ひとを巻き込む」ことについて、アドバイスをもらった話

いまでこそ、プロジェクトを走らせて、まわりを巻き込むことが少しずつわかってきたように思うけど、少し前まではこの周りを「巻き込む」ということがどうも苦手でした。よく上司にも「もっとひとを巻き込め」と言われるものの、それができませんでした。

今日は、この「ひとを巻き込む」ということを書きたいと思います。

まず、当たり前の話ですが、巻き込むためには、プロジェクト趣旨などを「相手に伝え」「相手の同意を得る」必要があります。よく言うところでは、ビジョンを語ることが挙げられます。そして、それを「面白そう」と思ってもらえれば、自然に輪は広がっていきます。よく新規事業を成功させてきた方に話を伺うのですが、最初はこの「面白そう」と思ってもらうことが何より大事だとよく聞きます。

では、「面白い」と思ってもらうとはどういうことなのか。

ここで、以前、著名なコンセプターの方から「面白い」ということにこんな言葉をいただきました。

「面白い」と「分かる」は、ほぼ同義です。
そして「面白い」とは、「分かる」をなじませることです。

事例として挙げられたのが、スーパーマリオブラザーズ
初期のスーパーマリオブラザーズでは、マリオが立ち、右側に進む。進むとクリボーなどの敵が現れる。ブロックからアイテムが取得できる。

そのプロセスが、すべて
マリオは、右にずっと動くのか。
あー、こうすれば敵を倒せるのか。
こうすれば、アイテムが取得できるんだ。
旗をつかまれば、1ゲームが終わるんだ。

この分かるの連続でなじませることが「面白い」という話でした。

なるほど。
相手がわかるということが「面白い」というのであれば、自分が語るビジョンは相手が分かるものだったのか。そこを振り返ることになりました。自分では腹落ちしているものが、ひととのバックグラウンドの違い、知見の違いなど、前提条件が異なることが加味されていたのか、といろいろと考えるようになりました。

面白い = 分かってもらえる

から

面白い = 分かる

と、変わったんです。ちょっとした意識が変わると、自然に相手にも伝わるようになりました。伝われば、ひとを巻き込みやすくなります。

面白い!と自分が思うものは、どうしても「絶対に相手にも伝わる」と根拠のない自信を持ちがちです。「ひとを巻き込む」ことが苦手だった自分がそうでした。

自分と同じく「人を巻き込む」ことが苦手、相手に自分のビジョンを伝えるのが苦手という方は、この意識をもつと変化が生まれるかもしれませんよ。

忘年会シーズン到来。どうしてもこれだけは嫌いなことを書いておく

会社の忘年会シーズンが到来。連日、会社の同僚やお世話になったひとたちと飲み会に行く方も多いのではないでしょうか。

こんなことを書く自分もそうですが、いよいよ飲み会が本格化してきました。

基本、お酒が好きなわたしですが、どーしても嫌なことがあるので、ここに記載しておきます。実はこうしたこと、日常生活でも多いのではないでしょうか。


では、本題です。
わたしがどーしても嫌なことは、「タバコのにおい」です。


わたしはたばこを吸いません。
そして、たばこの煙がとにかく嫌いです。
飲み会の終わったあとにジャケットやシャツ、コートに煙のにおいがつくのをとにかく嫌います。ついてしまったら、残念でなりません。「あ、、、、」というネガ感情で覆われます。

飲み会の場でも、席は喫煙者と非喫煙者が暗に別れるように誘導します。そして、喫煙者との距離をなるべくとることをします。対策は限られています。

しかし、ここで問題が起きます。

喫煙者と距離をおきすぎると、「コミュニケーションをとるひとととらないひとに偏りが生まれる」のです。

部内の新年会、忘年会など、会社の同僚とのみに行くのは貴重な機会です。ふだん、仕事で会話をとらないひととも話をする、しかもいろんな切り口で会話が生まれる貴重な機会です。小さい子どもをもつ親としては連日会社の同僚と飲みにいく余裕はないので、独身時代よりもここを意識しています。しかし、「たばこを吸うひと」とだけはどうしても距離を置いてしまうというのがわたしの課題であったりします。

喫煙者の方も「吸っていい?」と聞く配慮をしてくれるのですが、正直、飲み会の場で「ダメ。やめて。喫煙所に行って」とは言えません。気遣いはうれしいのですが、すでにコミュニケーションの制限がかかっているわけです。


以前、愛煙家の管理職の方と話をする機会がありました。ここではAさんとします。そのAさんは、わたしの前ではたばこを吸いませんでした。

なぜ、たばこを吸わないのですか、と聞くと、コミュニケーションの均等化を測るため、たばこの嫌いな方との飲みでは吸わないのだそうです。

こうした配慮を始めたのは、部下の理解に偏りができたからだそうです。上司が愛煙家の場合、「喫煙所にいるか、いないか」で上司と部下の間で理解度に差が生まれることがよくあります。非喫煙者からすると壁を感じることも少なくありません。

Aさんは、それをブラックボックス化と呼び、自分の部門で「ブラックボックスを持たない」ことを決め、喫煙にルールを設けたそうです。

1.喫煙所にはひとりで行き、ひとりで行う
2.たばこに行く時間を予定表に入れ、部下に公開
3.部下を喫煙に誘うことはしない

当然、喫煙場所で声をかけられることも多いのですが、それは別の機会にしっかりと時間をとって行うことを自らに課したそうです。「すごい方だな」と思いました。


こうして書くのは、喫煙者の方にこうした想いを持っているひとが少なからずいることを知ってもらいたいからです。わたしも「絶対に吸うな」「喫煙者とは飲みにいかない」という話ではなく、お互いの配慮と歩み寄りがあると、お互いにいい飲み会になるのかな、と思い、今日は「飲み会のコミュニケーション」をテーマに記事を書きました。

さて、これから服をファブリーズして、寝ます。おやすみなさい。

伝えることが上手な上司と、伝え方がへたな上司の違いについて

上司がいうことを素直に聞ける
上司がいうことを素直に聞けない

この大きな違いを生むのは、ほんの少しの上司のコミュニケーションの差です。なぜ、そんなことを思ったかというと、MTG時に上司に問いつめられるメンバーをみて、明らかに上司が伝えることがメンバーに伝わりきれていない状況を見たからです。もちろん、厳しいフィードバックはメンバーの成長のために必要ですが、伝わらなければ意味がありません。では、何が差を生んでしまうのか。今日は伝えることが上手な上司と、伝え方がへたな上司というテーマを考えてみます。

では率直に、ポイントは何か。

ネガティブフィードバックの有識者や部下の能力を引き出すのが得意な方々に話を聞くと共通点を見いだすことができます。

ポイントは「信頼関係を築く」ことに重きを置いているか、否かという点です。

伝え方がへたな上司は、メンバーに早く改善してほしいから、ストレートに厳しいこと「だけ」を伝えてしまいます。しかし、厳しく、嫌なことばかり言う上司の話なんて、聞きたくなくなるのは当たり前です。一方で伝え方が上手な上司は、厳しいことを伝える前に自分自身の声を聞いてもらえるよう、「整える」のが上手いです。また伝え方にも工夫があります。

例えば、

1.「褒め>詰め」が基本。叱りたいときほど、まずは褒める
2. みなが見える場で厳しいことを言わない。相手の自尊心に配慮する
3. 伝えることは1つ。複数、伝えない
4. 伝え方は、対面の声だけではない。時に手紙でもOK。手段はひとつではない

などなど。

1.は、ひとの行動をよく観察し、褒めること。褒めることで「自分のことをよく見ていてくれる」という安心感を持ってもらうことが上手いです。信頼関係の構築です。

2.は、人前で叱責したり、厳しいことを伝えることはしません。人間は感情的な生き物なので、「恥をかく」というシチュエーションがいちばん自尊心を傷つけるといいます。それがよく理解し、部屋を確保する。対面に座るのではなく、斜めに座るなど、相手へのストレスを鑑みて、場を整えます。

3.伝えることを絞り込むこと。言いたいことをガーと伝えるのではなく、時間軸を置いて、「まずはここだけはしっかりと伝える。理解してもらう」という絞り込みが上手いです。時間軸で物事を考えられれば、その場で気持ちの余裕も生まれます。

4.は必ずしも対面で声をかけることにこだわらないということ。ときには、物理的に残るものを渡した方がいい。2.で記載しているが、人間は感情で動く生き物なので、感情を揺さぶる伝え方のレパートリーをしっかりと持っておく。

自分が尊敬する上司は、元人事ということもあって、上記のポイントを非常に抑えています。部門で100名近い部下がいるなか、週でメンバー一人ひとりに声をかけ、話をしたのかをノルマとして課すことをしているという話でした。また、ひとをよく観察するひとで、少ない時間の中でひとを観察するために「今日は、このひと」「今週は、このひととこのひととこのひと」というように、意識して観察するひとを決めておく、ということもしているとのこと。

結局、伝えることが上手か否かはこの「整える」ことに差があるのかな、というのがわたしの考えです。


そんなことを考えていると、かの有名な山本五十六の言葉が思い出されます。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず

何事もまずは信頼関係を築くこと。
まずはそこからです。

メディアを運営する上で、もっとも大事なことを考えてみる

某社のキュレーションサイトの問題が大きく報じられています。小さいながら、メディアを運営する立場からメディアを運営する上で大事なことを考えてみます。

今日は記事ではなく、自分の頭の整理をするため、記載します。前もって言いますが、落ちはありません。

・真実を書くこと
当たり前のことですが、真実を発信しなければなりません。そのために取材をする、有識者に内容の正否を確認するなど、情報発信者は相応の時間とお金をかけます。

なぜ、そこに注力するのか。

理由は、情報発信の「怖さ」を理解しているからです。今回、問題の発端となったのは、健康という人の生死に関わる情報を軽んじていた点です。自分自身も情報発信を生業としている身として、こうした情報ひとつがひとの人生を狂わせることをリアルにみてきました。わたしの場合は「キャリア」が主なテーマなので、その情報を指針にして人生の方向を定めることだってあります。

メディアの「怖さ」を知ることが大切です。

・継続すること
継続することは、売上をあげるという意味と同義です。メディアは、決してタダで運営できるわけではありません。ひとも必要だし、そのためのお金も必要になります。いい情報を発信していても、結局は続かなければ、読者やユーザーに対して無責任になります。影響力の大きいメディアであれば、なおさら。続けるためにもお金は必要です。

・甲斐があること
メディアの運営は一筋縄にはいきません。一つひとつの言葉に目を光らせて、読者に情報を届けなければなりません。正直、やっている身としては言葉の解釈でブレが出ないかなど、いろんな読者を想定して神経を尖らせています。苦しいこともあります。だからよく聞くのは、メディア運営者は好きでないとできない、という話です。

まぁ、たしかにそうです。

一理、あります。ただ自分の考えは少し違っていて、メディアが好きなことは前提条件のひとつですが、それよりも「甲斐」が大事だと思っています。2.にも関係しますが、甲斐があることが携わるもののエネルギーを保つポイントにもなります。


メディアという媒体を挟んでいますが、つまるところ編集者と読者のコミュニケーションです。

信頼関係を築く上で、ウソをつく人はいません。より深まる関係には、時間などの投資も大事です。そして、お互いの「甲斐」が合致すれば、関係はより深まります。

そう考えると、編集に携わる者の「人間性」がメディアに色濃くでるわけで、改めてメディアの責任者には「人間磨き」というものが欠かせないのだ、と自分にプレッシャーをかけるのでした。

落ちも何もない展開で、すみません。おやすみなさい。

未来は、ひとと違うことをやっていた方が圧倒的優位の時代になる

仕事柄、経産省厚労省が出す資料に目を通すことが多くあります。
中でも最近目に留まったのが経産省から出ていた
「21世紀からの日本への問いかけ (ディスカッションペーパー)」です。

概要として、主に2点。
1.次官と若手でより長期に、21世紀から照らし出される今後の日本の経済社会のあり方 の仮説を検討したもの。
2.第4次産業革命などのグローバルトレンドの中で、日本の文化・価値観などが持ちうる強み について検討し、中長期的・構造的な課題克服の足がかりを得る。

今日はここから得られる示唆の中で、注目したいポイントを紹介します。

・2大インパクトは「労働代替効果」と「「差異化」による利益偏在」
・労働代替効果の主な要因は、ロボットやAI。極論、無人工場も誕生する
・労働代替効果の進展→大量の若年人口を抱える国こそ、雇用確保が困難に
・フラット化する世界。差異を生み出せる事業者に利益が集まる時代に
・労働代替と利益偏在による二極化の進展
・二極化による中間層の没落や格差の拡大
・日本は、AI・ロボット導入への抵抗が世界で最も少ない稀な国
・生産するモノの多様性を測る「経済複雑性指標」で、日本は世界第一位
・経済複雑性指標と一人当たりGDPには相関あり
・日本はもっとも様々なモノを 生み出せる産業基盤を有することが強み

などなど。
資料にはこの背景を受けて、高度な高齢者就労の促進と制度変革の話が展開されるわけですが、個人的に注目したいのは「格差拡大・2極化の進展」であり、「差異を生み出す者に利益が集まる」という点です。

これを素直に受けとると
ひとと同じことをやることの習熟度の差を競うのは過去のはなしであり、
いかにひとと違う経験を積むことが大事だといえます。

とくに日本では、学び直しに関する公的支援が希薄であり、
普段の仕事などで、いかに付加価値を生む力を養うのかというのは、
もっと意識すべきポイントだといえます。

以前、ライフネット生命の会長である出口さんからこんな言葉をいただきました。

競争力とは、ひととは違うことを考えること
ひとと違うことを工夫して、はじめてお金が集まる。

そして、競争力を育むのは、

1.考えること
2.勉強すること。オススメは、人、本、旅から学ぶ
3.できるだけ「バックグラウンドが違うひとに会う」こと

ひとと異なる体験を得るということは、企業内でいえば、
必ずしも本流であるとは限りません。亜流であることがほとんどでしょう。
当然、社内にない仕事を生み出すという意味では常に外れにいるといえます。

個人的に本流か亜流かといえば、亜流にいるので
こうした企業内における社会と組織の中の自分の立ち位置には、
気を使うこともあり、実は孤独を感じることも多々あります。

そんなとき、ひょんなことで出会った著名なTVディレクターの方に
こんなアドバイスをいただいたことがあります。

「誠実に仕事を向き合っていれば、誰かが見ていてくれる。
 いまが不遇でも慌ててちっちゃいモノに食いつくと
 大きなモノを逃がしてしまうことになるよ」


労働の代替による中間層、とくに工場・メーカーの没落は顕著。
そして、付加価値を生む人材への利益分配というのはすでに起き始めています。

改めて、差異を生み出すひとになることの意識を強く持つこと。
そして、それは日々の仕事からであり、その創意工夫がモノをいうわけです。

自分が好きな言葉:リクルート社の江副さんの言葉が染みます。


自ら機会をつくりだし、その機会をもって、自らを変えよ。



(参考)21世紀からの日本への問いかけ(経産省より)

 

勉強をしない子どもが、勉強するようになったという父親のはなし

「勉強しなさい」
「宿題をしなさい」

親が子どもにいう典型的なフレーズではないでしょうか。しかし、この「勉強しなさい」「宿題をしなさい」というのが、いちばん勉強をしなくなるフレーズという話はご存知でしょうか。

もともと「勉強をしなさい」というのは、「勉強は苦しいもの」「勉強は覚えられないもの」という枠組みが生まれてしまうためです。枠組みが決まってしまうとそう簡単には変わることができません。そんな状態で、どうすれば子どもは勉強好きになるのか。先日、とあるコンサルタントで2児の父親とこんな話をしました。

「母親が、子どもに向かって勉強しろ、しろというんだけど、子どもがやらないんですよね」
「勉強しなさいといって、素直に勉強はしないですよね。正直、自分も子どもの頃そうだったし」
「でも、chibi(私)さん。先日、とあることを始めたら、自然に子どもが宿題をやりはじめたんです。」
「へぇ、それはどんな工夫をしたんですか?」
「なんてことはないです。自分が朝方に勉強している姿を見せること。それと子どもに時間があるよって伝えただけです」

具体的に話を聞くと、朝方に父親自身が本を読んだり、勉強をする姿を見せていたんだそう。そこでふと「○○○くん、時間はあるよ」と声をかける。そうすると自然に宿題に目を向けるようになったという話です。

これ、単に「背中で見せる」というだけではない背景があります。

それは「枠組み(固定概念)に揺らぎをつくっている」点です。

「勉強しなさい、勉強しなさい」と言い続ければ、言い続けるほど、どんどん勉強は苦しいもの、つまらないもの、覚えられないものという固定概念が強くなります。しかし、勉強をする姿を見せることにより、「あれ?? 勉強は実は楽しいものなのかも?」という揺らぎが生まれます。

揺らぎが生まれているときは情報が入りやすくなるので、ここですかさず勉強は楽しいという考えによって、固定概念を書き換えるんだそうです。

子どもの勉強に掛けた話ですが、ビジネスパーソンでも同様のことが言えます。

大人になっても、「難しそう」「大変そう」という固定概念があるところ、ちょっと「やってもいいかも」「してもいいかも」という気持ちになっている方が行動に移しやすいという感覚は持てると思います。そして、実際にその行動の結果がポジティブであれば「難しそう」「大変そう」という気持ちは微塵もなくなっているはずです。


ん〜、とはいえ、勉強好きな子どもになってほしいとはいえ、
なかなか親の希望どおりにはいかないものですねぇ(苦笑




忘年会シーズン到来? 2パターンの飲み会に参加してみた

11月がスタートしました。2016年も終わりが徐々に見えはじめ、ちょっと気が早いのですが、忘年会という言葉もちらちらと聞きはじめました。そんなおり、2つのパターンの飲み会に参加することになり、その際に気づいたことを記載します。

2パターンとは、下記のようなパターンです。

「現在/振り返り型の飲み会」
「未来、妄想型の飲み会」

いずれも会社の同僚とグループ企業の社員が集まって開催したもの。どちらがいい、悪いではなく、それぞれの特徴があるなぁっと思ったので、それを書きます。

■現在/振り返り型の飲み会
現在/振り返り型の飲み会は、お互いの近況やトピックスを紹介しあうもの。今回のケースで多かったのは、仕事の話、恋愛/結婚の話。

・仕事の話では、現状の仕事のコンディション(予算達成/未達成とか)
・10月に変わった組織の話(異動した方もいたので)
・前回の飲み会からの変化:恋愛の話
・上司や経営者の話(グループ会社社員もいっしょだったので、ユニーク上司の話)

ざっとこんな話が多くありました。
参加者のほとんどが営業だったこともあり、仕事の話、業界動向の話、顧客の話(コンプラに触れない程度)といったことが中心でした。盛り上がったのは、上司や経営者の話。ふだんうかがうことができない上司の「顔」というものが知れることはそれはそれで価値があるもの。

得られることは、「現在の仕事に即役立つ情報」など。編集という立場だったので、営業のひとたちらしい会話だなぁっとその様子を見ていました。

■未来/妄想型の飲み会
未来/妄想型の飲み会は、その言葉の通り、未来を語るもの。それは短いスパンで1年、長めで3年ぐらいの話。これは、ベンチャーや大企業などの経営層の方々との飲み会。その話では、世界の動向、業界の動向など、マクロ的な大きな話があり、その上で、いまもっともホットなトピックスが紹介されていました。

とても面白いし、その内容を受けて、話者の活動がFacebookのタイムラインに流れてきているので、「1年先をみて、こんな活動をしているのか」と刺激を受けることになります。ここで、詳細を述べることができないのが心苦しいのですが、こうして点で情報交換したものが、線で流れてくるFacebookの仕組みは本当にすばらしいと思う訳です.

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現在/振り返り型の飲み会は、足元の仕事の改善に役立ちます。一方で、後者は即仕事に役立つかはわかりませんが、「思考の改善」に役立ちます。よく言われるのは、足元の仕事ばかりに目がいってしまうと、近視眼的な仕事になりがちで、未来の打ち手が細るという話です。

自分は仕事柄、後者の飲み会が多くなるのですが、この記事を読んでいる方の中には「未来/妄想型の飲み会」の機会が少ない方も多いように思います。

たまにその会に出て、自分の考える未来を語ってみると、これまでとはぜんぜん異なる違う世界が広がるかもしれません。


「潔い」という言葉が心に残った理由を考えてみた

変わったタイトルです。

あるヒューマンドキュメントを見ていて、心にふととまった言葉が「潔い」という言葉。これは、ある女性編集者が企画で出していたコピーです。

“働く時間は、自分で決める” そんなママって潔いい!
※雑誌の企画タイトルより

この言葉の裏には、ふだん自信のある態度がとれず、心がふさいで気分が晴れないというものが含まれています。澄み切った感じで、すがすがしい。自信に溢れ、未練もなし。さっぱりしている。そんなものへの憧れがなんとなく感じられました。

そして、「潔い○○」という言葉で、デザインを挙げている事例も過去にありました。デザイナーの佐藤可士和さんが2006年のドコモの携帯コンセプトで「潔い」としたこと。当時の広告はタレントを用いた機能訴求が主流で、オフライン広告では、タレント押し、機能押しが当然のような時代でした。

その中で、携帯の写真だけ。コンセプトである「潔い」を反映し、キャッチコピーも機能も説明することがない広告群が、何よりも驚きだったことをいまでも覚えています。


▼(参考)潔い携帯デザイン

kashiwasato.com


< 潔い(いさぎよい) ※Wikiより >
澄み切った感じで、すがすがしい。特に態度が、未練げもなく、さっぱりしている。

この言葉。なぜか、心に刺さっています。
その理由を考えてみたとき、「潔いひと」の反対のケースを
考えるとわかりやすくなりました。

ーー淀んでいて、うっとうしい。態度が未練たらたら、さっぱりしていない。

こう聞くと、付き合いたくないひとになります。
そして未練たらたらなど、あっる一面だけでもダークサイドに陥ることが
多々あることも事実です。


何が言いたいかというと、「潔い」は心が清くて私欲がなく、
後ろ暗いことのまったくないさまと捉えられます。
しいてここでいえるのは、「決められるひと」ということ。
また、私欲がなく、ギバー的発想のものといえるのかもしれなせん。

何か「こうありたい像」に、「潔い」という言葉がひっかかっていたのかもしれません。

最近、ライフシフトでも紹介されている
有形資産だけでなく、無形資産を貯めていくことが長く働く秘訣という話があり、
この「潔さ」を意識することが、ゆるくつながれる人の秘訣なのかなとも思ったり。

潔いひと というのをちょっと意識してみたいと思います。

フィードバックは、待つのではなく、もらいにいけ

今日、会社の後輩から相談を受けた。内容は、自身の起案がなかなか通らずにいることへの相談だった。

彼をみていて、思うことがあった。
それは、フィードバックを積極的に受けにいかないということだ。

若手の社員に多いことだけど、新しいことをやろう、起案しようと思っても、なかなか上のGOがでないという。しかし、その起案がどれだけ叩かれて、叩かれてシャープになったものなのかは、疑問だ。

とある著名コンサルタントの方は、こんなコメントをしていた。内容は新規事業についてだ。

新規事業において社内の説明が通らない、通らない、上の連中は新しいことをわかっていないという相談をよく受けます。しかし、実際は違うんです。単に本人がそこまで“これは面白いから絶対にやろう”と思っていないだけなんです。

 

上もよほどのことがない限り、バカではない。彼に託すのか、託さないのか、その本気度を測っているともいえる。自分の目からみても、彼の起案は心底、形にしたいものだったのかは疑問だ。

とかく、日本人の場合は積極的にフィードバックを受けに行かない傾向がある。とある知人の息子は、太鼓の部に所属していたが、どうしても先生に太鼓を叩かせてもらえなかったそうだ。彼は、太鼓の部の先生にこういった。

「なぜ、太鼓を叩かせてもらえないのかを教えてほしい」
「どうすれば、叩かせてくれるのかを教えてほしい」

先生は真摯に答えた。それをきっかけに彼は自身を改善し、太鼓を叩く役に抜擢された。今回、相談してきた彼も同様のことがいえる。

「なぜ、自分の起案が通らないのか、教えてほしい」
「どうすれば、起案を通してくれるのか教えてほしい」

フィードバックを受け続けることは、熱意を削がれることにもつながる。
上長の意見となれば、いつの間にかその意見がとおり、自身の起案ではなく、
上長の起案にねじ曲がっていくことも多々ある。

しかし、それでねじ曲がっているようならば、結局はその程度の起案だったという話。
それを彼はまだ分かっていない。

フィードバックにおいて、大切にしている考えがある。

「その道のもっともすぐれた人に、フィードバックを求める」ということだ。

営業ならば、社内でもっともすぐれた営業からフィードバックを求める。
企画ならば、社内でもっともすぐれた企画者からフィードバックを求める。
ときにそれは社内の枠を飛び越えて、社外でもっともすぐれた方でもいい。

すぐれたフィードバックは、シャープな起案の近道だ。
彼にも同様のことを伝えた。彼はどう変わっていくのだろう。
今後の行動に注目したい。